「あの頃、サイバーパンクと聞くと日本を想像したよな」 [海外掲示板]
redditから
otakuman
「サイバーパンク」の板から来たよ。20世紀後半、最先端の電子工学・技術力という言葉はそのまま日本を意味していたと思う。皆もあの頃を覚えているだろう。ソニーのウォークマン、任天堂、プレイステーションの活躍を。今日でもパナソニック、東芝、日立、シャープなんかは、それぞれの分野でしのぎを削っている。
僕の疑問は、なぜその国が日本だったのか? ということだ。なぜアメリカや他の国ではなかったのか? 経済、政治、他のどんな要因を挙げてくれてもいい。僕らが電子工学について語るとき、 日本という国について触れるようになったのはなぜなのだろうか?
cahamarca
その答えは、おそらく第二次大戦以前の彼らの近代化への取り組みによるものだろう。1868年の明治維新から、日本は西欧諸国の力に並ぼうと技術研究を熱心に進めた。政府の後押しによって彼らは独自の産業資本主義を発展させ、そしてそれは恐ろしいほどに良く機能した。
多くの日本の大学(現東大、北海道大)は科学技術へ力を入れた。第二次大戦前には一つの家が複数の会社を保有するという「財閥」と呼ばれる経営形態が日本にはあり、それは日本の重工業の基盤ともなった。そしてこのような組織の多くは、重工業から(1970年代~1980年代に発展した)電子工学へとそのノウハウを持って進出していった。大戦後、政府は通産省を介して工業生産能力の向上に力を注いだ。しかしながら、「より良い国家のため」とのスローガンの元に、工業の悪い点が見過ごされがちだったこともある(1950年代から1970年代の水俣病のように)。
ところで、日立は1910年に電気駆動モーターを生産する会社として建てられた。東芝は1939年の二社合併(電信会社と白熱電球の会社)によって生まれた会社で、全て元をたどれば1800年代後半から存在していた。任天堂はそもそも1880年代に生まれたカードの玩具会社だった。シャープは1912年創業の鉛筆会社、パナソニックは当初自転車のランプを作り、1918年に生まれた。君の(電子工学分野に発展した)会社のリストを見ると、ソニーだけが1946年に終了した大戦後生まれの唯一の会社だ。ただし、ソニーも今ある工業基盤に多大な貢献をし、最先端の技術を確立していった、ということは事実だけどね。
他に挙げるとすると、トヨタなんかは良い例だと思う。1800年代に生まれた会社で、そもそもは工業用の織機を生産していた。豊田氏の息子の一人が1920年代に自動車製造に興味を持ったことが全ての始まりで、彼は自然とGMの車を購入し、それを工場に持ち込んで技術者たちに見せ、解析を始めた。日本のトヨタミュージアムに行けば、アメリカの車を持ち込み、青写真を作成している彼らのジオラマが見れるよ。こうやって彼らは自動車技術を身に付け、君たちが目にするトヨタ自動車の始まりだ。
さて、なぜ日本はアメリカと比べ、マイクロエレクトロニクス分野で成功を収めたか? 僕の解釈は少し決定打に欠けるかもしれないけれど、それは日本が1950年代~1960年代に多大なアドバンテージを有していたからだと思っている。上に書いたように、日本は重工業と工学ノウハウに関して、とても優れた(電子工学への発展を促しうる)組織形態を有していた。一方でアメリカは地理的、その人口密度から考えても、軍事的使用を想定した限られた物を生産する傾向にあったと思う。なにより、大戦後アメリカが防衛を担ったために、彼らは軍事にそれほど予算を割かずに済んだ。彼らの工業目的は、宇宙開発や兵器開発ではなく、もっと多様な場所に焦点を当てることができた。
AsiaExpert
上の人が既にいくつかポイントを挙げてくれた。ここで俺は日本の政治・経済に多大な影響を及ぼした、アメリカの役割について話したい。
先に言われたように、日本が軍を解体し再軍備が許されなかったことからアメリカがその防衛を担った。このこともあって、彼らは(軍事に金をかけず)富を温存し、彼らの輝かしい未来へと投資することができた。経済成長と新たな国家形態の形成だ。
当初、海外市場調査会(注:現JETRO)から情報を得た通産省や企業の目論見は、アメリカ市場への進出で、政府はこれをとにかく推し進めた。
日本とアメリカの間で交わされた相互協力及び安全保障条約の観点から、日本の製品をアメリカに流通させるための巨大な市場が既に開かれていた。通産省の強いリーダーシップの下、日本企業は早期に巨額の投資を行い、重工業を立ち上げた。この産業インフラはアメリカからの投資によっても賄われ、そもそもアメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争からその消費活動をすさまじく上昇させていたことも理由だ。そして始まる技術産業。日本はそれら製品をアメリカの市場に流通させるのに、絶好のポジションを獲得していた。
アメリカ市場の解放というのは、日本の技術産業にマクロ、マイクロの両方から見ても多大な影響を及ぼしたと言わざるを得ない。
ところで、今日、市場は我々に日本の製品が信頼のおけるもので、高品質、しかしながら少し高価、との認識を持たせている。ソニー、パナソニック等の日本ブランドはもはや見慣れたものだ。
しかし、日本の技術産業から生まれた当初の製品(ラジオやテレビ)というのは我々が今日中国製品に抱くような評判だった、すなわち“安いが信頼できない”、“劣化版コピー”という評判だ。それはアメリカ・ドイツ製品を買う余裕のない人々が手を出す物だった。
しかし日本の技術製品は質を上げ続け、しかもとてつもなく革新的だった。革新的と言っても何か全く新しい物を生み出したというわけじゃない。彼らが得意としたのは既にある製品を手に取り、新しく手を加えていくというものだった。
例えばFAX機器。知らない人も最近は多いだろう。それ自体は随分と昔に生まれた物で、現在の電話、スキャナ・プリンタの特性を合わせ持つようなものだった。これについて知っている人は、おそらく今よく見かけるプリンタぐらいの大きさの物を思い浮かべると思う。しかし当初のFAX機器はどう見ても使い方など分からないほど、巨大な機械だった。使われる場所は病院や警察署などに限定され、プリントアウトに数時間を要した。そこに日本人が手を加えたわけだ。新たに開発したと言ってもいい。より小型に、速く、使いやすく、重要性を再認識させ、広く流通させる。それを見て、すぐに他の者も新たなFAX機器の製造に乗り出したが、もはや追いつくことなどできなかった。市場を占領した。
これが日本の技術産業の戦略だ。第二次大戦前に、戦闘機エンジンに想像だにしなかった改良を加えていったのに似ている。日本の技術産業(会社)は(果実を)を組み合わせて、独創的なジュースを作るのが得意なんだ。アメリカから生まれた多くの物に、日本独自の改良を加えていく。そうやって評判を上げ、高品質な製品を創り出す、日本製という一つのブランドを確立していった。日本企業は革新的で市場で売れる日本独自の製品を生み出す。
そういった彼らの成功の裏には、やはりアメリカとその政府の影響が窺える。複雑な輸出入の手順を簡略化させ、アメリカ市場に進出させ、市場に定着するための資源(資金)を供給した。
極端に言えば、アメリカは日本企業の母体となっていた。進出のための資金、企業の拡張・成長のための基金が可能な限り、アメリカの相互協力及び安全保障条約の責任によって捻出された。そして最も重要なのは、あの頃のドル円の為替レートだろう。また、アメリカは日本製品その物にも影響を及ぼしていた。パートナーのアメリカ企業から、技術ノウハウの提供を受けていたからね。そして彼らはお得意の方法でそれを昇華していった。
ただし、日本の成功が全てアメリカによって成し遂げられた、というわけではないと注釈しておくのは重要だろう。アメリカの政府や企業は確かに日本企業にとって良い環境を創り出したが、実際にその環境を最大限利用し、利益を確立していったのは日本の力に依るものだ。日本経済は世界最大の規模へと発展し、当時の力と言ったら信じられないほどだった。
Orbitfish
彼らの品質管理技術も忘れちゃいけない。日本企業は自社製品の品質を管理する、という点で先見の明があった、彼らのそういった技術は元々アメリカから得たものであったにも関わらず、一方でアメリカは実際に取り入れることを嫌がり、30年ほども遅れを取った。
shenpen
>しかし、日本の技術産業から生まれた当初の製品(ラジオやテレビ)というのは我々が今日中国製品に抱くような評判だった、すなわち“安いが信頼できない”、“劣化版コピー”という評判だ。それはアメリカ・ドイツ製品を買う余裕のない人々が手を出す物だった。
こんな時期あったか? 1986年にはカシオの時計、ウォークマンや計算器は評価されていたと思うんだが。随分古い赤井電機のラジオをまだ持っている人もまだ結構いるだろ。1960年代とかのことを話してるんだろうか?
tog_Jan
そうだな。1980年代には日本企業は世界中のマーケットを荒らしまわっていたし。
keepthepace
>今日でもパナソニック、東芝、日立、シャープなんかは、それぞれの分野でしのぎを削っている。
シャープは今死にかけてるんだが……。
Chimie45
一番上のCahamarcaが既に日本の工業化については話してくれた。
他に僕が触れておきたいのは、日本のVLSI計画(1980年代に大規模な集積回路をVLSIと呼び始めた。同じく1980年代に通産省が国家プロジェクトとして開発を進め、半導体の製造装置技術の確立に貢献した。企業間並びに企業-政府間の協力が大きかった)が成功した一方で、アメリカのVHSIC(注:very-high-speed integrated circuitsの略、またはその計画。1980年にアメリカ政府が推し進めた計画で、軍用デジタル信号処理集積回路の開発を狙った。この計画は集積回路の物質(半導体)開発、回路構成、パッケージング、アルゴリズムの開発やハードウェア記述言語の一種であるVHDLの誕生に貢献した)はうまくいかなかったという点だ。両方ともに回路の高速化を狙った物で、これについては日立、富士通、東芝、三菱などの日本企業がうまくやっていた。
なぜアメリカのVHSICはうまく行かなかったのか? それはこの計画が軍(国防総省)主導で行なわれ、発展しづらかったことだ。
軍はマイクロ加工を得意とする企業を、軍用技術を発展させるための道具として使いたがり、しかも特にテキサス・インスツルメンツやハネウェル社、モトローラなんかの大企業を好む傾向があった。このため、小さな企業は軍に対して敵対する姿勢を見せていたわけだ。
マイクロ技術の発展には様々な多くの企業を必要とする。しかし、アメリカは企業同士の協力を生みにくい環境にあった。一方で日本企業はよく協力し、政府のプレッシャーはこれら企業がプロジェクトに取り組むための良い刺激となっていた。
昔ウィリアム・ギブスンのニューロマンサーを知ったとき、いきなり千葉という言葉が出てきて驚いた覚えがあります。
1984年出版ということなので、やっぱり当時の日本の影響が大きかったのだろうと感じさせられましたね。
あの時代に出た映画や小説に登場する日本は、巨大な資本と技術力のイメージが様々な形で取り上げられていた気がします。
otakuman
「サイバーパンク」の板から来たよ。20世紀後半、最先端の電子工学・技術力という言葉はそのまま日本を意味していたと思う。皆もあの頃を覚えているだろう。ソニーのウォークマン、任天堂、プレイステーションの活躍を。今日でもパナソニック、東芝、日立、シャープなんかは、それぞれの分野でしのぎを削っている。
僕の疑問は、なぜその国が日本だったのか? ということだ。なぜアメリカや他の国ではなかったのか? 経済、政治、他のどんな要因を挙げてくれてもいい。僕らが電子工学について語るとき、 日本という国について触れるようになったのはなぜなのだろうか?
cahamarca
その答えは、おそらく第二次大戦以前の彼らの近代化への取り組みによるものだろう。1868年の明治維新から、日本は西欧諸国の力に並ぼうと技術研究を熱心に進めた。政府の後押しによって彼らは独自の産業資本主義を発展させ、そしてそれは恐ろしいほどに良く機能した。
多くの日本の大学(現東大、北海道大)は科学技術へ力を入れた。第二次大戦前には一つの家が複数の会社を保有するという「財閥」と呼ばれる経営形態が日本にはあり、それは日本の重工業の基盤ともなった。そしてこのような組織の多くは、重工業から(1970年代~1980年代に発展した)電子工学へとそのノウハウを持って進出していった。大戦後、政府は通産省を介して工業生産能力の向上に力を注いだ。しかしながら、「より良い国家のため」とのスローガンの元に、工業の悪い点が見過ごされがちだったこともある(1950年代から1970年代の水俣病のように)。
ところで、日立は1910年に電気駆動モーターを生産する会社として建てられた。東芝は1939年の二社合併(電信会社と白熱電球の会社)によって生まれた会社で、全て元をたどれば1800年代後半から存在していた。任天堂はそもそも1880年代に生まれたカードの玩具会社だった。シャープは1912年創業の鉛筆会社、パナソニックは当初自転車のランプを作り、1918年に生まれた。君の(電子工学分野に発展した)会社のリストを見ると、ソニーだけが1946年に終了した大戦後生まれの唯一の会社だ。ただし、ソニーも今ある工業基盤に多大な貢献をし、最先端の技術を確立していった、ということは事実だけどね。
他に挙げるとすると、トヨタなんかは良い例だと思う。1800年代に生まれた会社で、そもそもは工業用の織機を生産していた。豊田氏の息子の一人が1920年代に自動車製造に興味を持ったことが全ての始まりで、彼は自然とGMの車を購入し、それを工場に持ち込んで技術者たちに見せ、解析を始めた。日本のトヨタミュージアムに行けば、アメリカの車を持ち込み、青写真を作成している彼らのジオラマが見れるよ。こうやって彼らは自動車技術を身に付け、君たちが目にするトヨタ自動車の始まりだ。
さて、なぜ日本はアメリカと比べ、マイクロエレクトロニクス分野で成功を収めたか? 僕の解釈は少し決定打に欠けるかもしれないけれど、それは日本が1950年代~1960年代に多大なアドバンテージを有していたからだと思っている。上に書いたように、日本は重工業と工学ノウハウに関して、とても優れた(電子工学への発展を促しうる)組織形態を有していた。一方でアメリカは地理的、その人口密度から考えても、軍事的使用を想定した限られた物を生産する傾向にあったと思う。なにより、大戦後アメリカが防衛を担ったために、彼らは軍事にそれほど予算を割かずに済んだ。彼らの工業目的は、宇宙開発や兵器開発ではなく、もっと多様な場所に焦点を当てることができた。
AsiaExpert
上の人が既にいくつかポイントを挙げてくれた。ここで俺は日本の政治・経済に多大な影響を及ぼした、アメリカの役割について話したい。
先に言われたように、日本が軍を解体し再軍備が許されなかったことからアメリカがその防衛を担った。このこともあって、彼らは(軍事に金をかけず)富を温存し、彼らの輝かしい未来へと投資することができた。経済成長と新たな国家形態の形成だ。
当初、海外市場調査会(注:現JETRO)から情報を得た通産省や企業の目論見は、アメリカ市場への進出で、政府はこれをとにかく推し進めた。
日本とアメリカの間で交わされた相互協力及び安全保障条約の観点から、日本の製品をアメリカに流通させるための巨大な市場が既に開かれていた。通産省の強いリーダーシップの下、日本企業は早期に巨額の投資を行い、重工業を立ち上げた。この産業インフラはアメリカからの投資によっても賄われ、そもそもアメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争からその消費活動をすさまじく上昇させていたことも理由だ。そして始まる技術産業。日本はそれら製品をアメリカの市場に流通させるのに、絶好のポジションを獲得していた。
アメリカ市場の解放というのは、日本の技術産業にマクロ、マイクロの両方から見ても多大な影響を及ぼしたと言わざるを得ない。
ところで、今日、市場は我々に日本の製品が信頼のおけるもので、高品質、しかしながら少し高価、との認識を持たせている。ソニー、パナソニック等の日本ブランドはもはや見慣れたものだ。
しかし、日本の技術産業から生まれた当初の製品(ラジオやテレビ)というのは我々が今日中国製品に抱くような評判だった、すなわち“安いが信頼できない”、“劣化版コピー”という評判だ。それはアメリカ・ドイツ製品を買う余裕のない人々が手を出す物だった。
しかし日本の技術製品は質を上げ続け、しかもとてつもなく革新的だった。革新的と言っても何か全く新しい物を生み出したというわけじゃない。彼らが得意としたのは既にある製品を手に取り、新しく手を加えていくというものだった。
例えばFAX機器。知らない人も最近は多いだろう。それ自体は随分と昔に生まれた物で、現在の電話、スキャナ・プリンタの特性を合わせ持つようなものだった。これについて知っている人は、おそらく今よく見かけるプリンタぐらいの大きさの物を思い浮かべると思う。しかし当初のFAX機器はどう見ても使い方など分からないほど、巨大な機械だった。使われる場所は病院や警察署などに限定され、プリントアウトに数時間を要した。そこに日本人が手を加えたわけだ。新たに開発したと言ってもいい。より小型に、速く、使いやすく、重要性を再認識させ、広く流通させる。それを見て、すぐに他の者も新たなFAX機器の製造に乗り出したが、もはや追いつくことなどできなかった。市場を占領した。
これが日本の技術産業の戦略だ。第二次大戦前に、戦闘機エンジンに想像だにしなかった改良を加えていったのに似ている。日本の技術産業(会社)は(果実を)を組み合わせて、独創的なジュースを作るのが得意なんだ。アメリカから生まれた多くの物に、日本独自の改良を加えていく。そうやって評判を上げ、高品質な製品を創り出す、日本製という一つのブランドを確立していった。日本企業は革新的で市場で売れる日本独自の製品を生み出す。
そういった彼らの成功の裏には、やはりアメリカとその政府の影響が窺える。複雑な輸出入の手順を簡略化させ、アメリカ市場に進出させ、市場に定着するための資源(資金)を供給した。
極端に言えば、アメリカは日本企業の母体となっていた。進出のための資金、企業の拡張・成長のための基金が可能な限り、アメリカの相互協力及び安全保障条約の責任によって捻出された。そして最も重要なのは、あの頃のドル円の為替レートだろう。また、アメリカは日本製品その物にも影響を及ぼしていた。パートナーのアメリカ企業から、技術ノウハウの提供を受けていたからね。そして彼らはお得意の方法でそれを昇華していった。
ただし、日本の成功が全てアメリカによって成し遂げられた、というわけではないと注釈しておくのは重要だろう。アメリカの政府や企業は確かに日本企業にとって良い環境を創り出したが、実際にその環境を最大限利用し、利益を確立していったのは日本の力に依るものだ。日本経済は世界最大の規模へと発展し、当時の力と言ったら信じられないほどだった。
Orbitfish
彼らの品質管理技術も忘れちゃいけない。日本企業は自社製品の品質を管理する、という点で先見の明があった、彼らのそういった技術は元々アメリカから得たものであったにも関わらず、一方でアメリカは実際に取り入れることを嫌がり、30年ほども遅れを取った。
shenpen
>しかし、日本の技術産業から生まれた当初の製品(ラジオやテレビ)というのは我々が今日中国製品に抱くような評判だった、すなわち“安いが信頼できない”、“劣化版コピー”という評判だ。それはアメリカ・ドイツ製品を買う余裕のない人々が手を出す物だった。
こんな時期あったか? 1986年にはカシオの時計、ウォークマンや計算器は評価されていたと思うんだが。随分古い赤井電機のラジオをまだ持っている人もまだ結構いるだろ。1960年代とかのことを話してるんだろうか?
tog_Jan
そうだな。1980年代には日本企業は世界中のマーケットを荒らしまわっていたし。
keepthepace
>今日でもパナソニック、東芝、日立、シャープなんかは、それぞれの分野でしのぎを削っている。
シャープは今死にかけてるんだが……。
Chimie45
一番上のCahamarcaが既に日本の工業化については話してくれた。
他に僕が触れておきたいのは、日本のVLSI計画(1980年代に大規模な集積回路をVLSIと呼び始めた。同じく1980年代に通産省が国家プロジェクトとして開発を進め、半導体の製造装置技術の確立に貢献した。企業間並びに企業-政府間の協力が大きかった)が成功した一方で、アメリカのVHSIC(注:very-high-speed integrated circuitsの略、またはその計画。1980年にアメリカ政府が推し進めた計画で、軍用デジタル信号処理集積回路の開発を狙った。この計画は集積回路の物質(半導体)開発、回路構成、パッケージング、アルゴリズムの開発やハードウェア記述言語の一種であるVHDLの誕生に貢献した)はうまくいかなかったという点だ。両方ともに回路の高速化を狙った物で、これについては日立、富士通、東芝、三菱などの日本企業がうまくやっていた。
なぜアメリカのVHSICはうまく行かなかったのか? それはこの計画が軍(国防総省)主導で行なわれ、発展しづらかったことだ。
軍はマイクロ加工を得意とする企業を、軍用技術を発展させるための道具として使いたがり、しかも特にテキサス・インスツルメンツやハネウェル社、モトローラなんかの大企業を好む傾向があった。このため、小さな企業は軍に対して敵対する姿勢を見せていたわけだ。
マイクロ技術の発展には様々な多くの企業を必要とする。しかし、アメリカは企業同士の協力を生みにくい環境にあった。一方で日本企業はよく協力し、政府のプレッシャーはこれら企業がプロジェクトに取り組むための良い刺激となっていた。
昔ウィリアム・ギブスンのニューロマンサーを知ったとき、いきなり千葉という言葉が出てきて驚いた覚えがあります。
1984年出版ということなので、やっぱり当時の日本の影響が大きかったのだろうと感じさせられましたね。
あの時代に出た映画や小説に登場する日本は、巨大な資本と技術力のイメージが様々な形で取り上げられていた気がします。
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