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日本はどのようにカメラ産業を築いたのか? [海外掲示板]

redditから


planaxis
市場に出回る日本製のゲームや自動車、これらについて質問をされたなら、僕は十分な(どうしてこれら製品が人気なのかについて)説明をしてみせる自信がある。しかし、最近気づいたことがあるんだ。それは、世界のカメラ産業においてキヤノン、ニコン、ペンタックス、オリンパス、パナソニック、シグマ、富士フィルム、ソニーなど、これほどの多くの日本企業が存在感を示している、という点だ。

これは一体なぜなんだろうか? そして、いつ始まった? 日本がここまで写真機器分野において傑出したことについて、何か歴史的背景を教えてくれないか?


spike
いくつか理由があると思う。

数千年遡っても、とまでは言わないが、ここ数百年を振り返ってみても日本人は完璧主義者で、とにかく細部までこだわる人間だったと言える。以前、優れた写真機器を送り出していたドイツ人とよく似ている。実は第二次大戦前から日本にはしっかりとしたカメラ産業が存在しており、しかし外国にはこの事実は知られていなかった。この頃は世界の大半の人間が、この写真機器分野でドイツに敵う者などいない、と思っていた。

第二次大戦末期、ドイツのカメラ産業は衰退し始める。メーカーの多くが東部に集中しており、ロシアによって攻撃を受けたからだ。西部ではライツ(ライカカメラ)が生き残ったが、ここ東部ではツァイス、エクサクタ、他にもドレスデンの工業地帯に存在したメーカーの多くが悲惨な目にあった。さらに悪いことに、ロシア人たちがツァイスのコンタックスシリーズに必要な資料・資材を持ち去っていた。もし遅れなく順調に(コンタックスシリーズが)完成していれば、戦前もっとも優れた35mmカメラになっていただろう。

ドイツと同様に、当然日本もこの頃苦境に立たされていたが、いくつかの小さなカメラ会社(ニコン、キヤノンや旭(後のペンタックス)は再興し、しかもアメリカへと優先的に製品を輸出できるというアドバンテージが日本にはあった。キヤノンはライカカメラをほぼ完全にコピーすることに成功しており、ニコンはライカとコンタックスの特徴を合わせ持たせていた。そして、旭は新たな方向へと舵を切った。そう、一眼レフカメラだ。

ニコン(そして日本のカメラ産業全体)が大きな転機を迎えたのは1951年のことだ。Life誌のカメラマンが、朝鮮戦争の取材に向かう途中で日本に立ち寄った。そこで、彼らが持っていたツァイスのコンタックスカメラに合わせようと、いくつかニコンのレンズを購入したんだ。撮られた写真は鮮烈で、これはニューヨークの技術員たちを飛び上がらせることとなった。こうしてニコンの名声は、瞬く間に成し遂げられたわけだ。

そして、旭は日本初の一眼レフカメラをアメリカで売り出し始めた。これにはTower Reflexと名がついていたが、これはドイツブランドのペンタコンがロゴにしていたタワーにちなんでいる。そして、キヤノンはライカデザインをさらに高尚なものへと進化させていた。

一方のドイツだ。ツァイスは墓穴を掘るのに大忙しだった。(コンタックスⅡのように)戦前のモデルや、戦後の(コンタフレックスのように)実際的ではなく複雑なモデル、これらを焼き増ししたような製品を送り出し、そしてどれもがとてつもなく高価だった。ライツは、ライカM3のように革新的なモデルを生み出したこともあって、顧客基盤を保っていたが、ツァイスはもがき苦しんだ。そして他のカメラ会社も戦後の鉄のカーテンに悩まされた。東ドイツのツァイス工場が初めてコンタックスSという今の近代的な一眼レフカメラをデザインしたが、これがバカバカしいほど信頼できない品で、旭がこれのコピーに成功し、そして新たにペンタックスと名乗って台頭し始めた辺で、勝負はついた。


  superspak
  今日俺は、「ニコンを作り上げたのはレンズだ」という言葉の意味を知った。


  ryebrye
  その写真用レンズの商標を、彼らがニッコール(Nikkor)としていたことから考えても、なかなか面白い言葉だな。


prbphoto
ニコンは三社合併で生まれて、これら全ての元を辿ると1800年代から存在したことになるんだよな。この会社はもう100年もレンズを設計し続けていて、初期の頃にニコンのレンズを購入していた一つの小さな会社、これが今のキヤノンなんだよ。様々な光学的製品に彼らのレンズが用いられていた。

1940年代になるまでは、ニコンはカメラ本体を製造し始めたことはなく、初めて作られたカメラは、ニコンⅠというレンジファインダー・カメラだった。


eastern
60年代には日本製が本当にライカと競い合うようになって、その頃にあるニュースカメラマンが「ライカは最高のレンズを作り、キヤノンは最高のカメラを作り、ニコンは最高の折衷品を作る」と言っていた。


Pinesse
日本人は照準器(戦車や航空機の)用の光学機器を自分で生産していて、第二次大戦を生き残ったこういった企業がカメラのレンズを作り出していた。


xeltius
第二位の地位に甘んじる、ということの重要さが分かるよな。首位に先進的な研究を進めさせておいてから新たに産業を立ち上げ、首位が作ったものを手本により優れた物を作る。

  Clckwrkx
  追随組である方がより良い、というわけではないよ。今回のケースでは、ドイツが自身の地位を守るための努力を怠ったからだ。
  通常、一つのブランド(市場で優位に立っている)を購入してしまえば、他のブランドへスイッチすることは、そのコストを考えても難しい。それに、自分が持っているブランドが市場に溢れかえっていることを考えると、その機器を売って十分な資金とすることも叶わないだろう。市場で優位に立つブランドというのは、多くの場合価格競争でも利あるし、これは追随組が参入することを妨げるからね。


konungursvia
日本人はとにかく品質にこだわっていたよ。そして安い価格で、西欧の古びたカメラたちの代わりを務めてくれた。


bongozap
1983年、俺が初めて手に入れた一眼レフカメラはペンタックスのk1000型、55mm f2レンズだった。小型な割にゴツゴツといかつく、素晴らしいカメラだったな。

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